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曽木発電所遺構 No.02
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調査実施:2005年3月・6月 報告書作成:2005年7月12日
       

2度目の現地調査

遂に遺構に接近!
 1度は断られた工事現場の立ち入りだが、今回改めて事前に工事の発注主である国土交通省九州地方整備局鶴田ダム管理所に取材(遺構の写真撮影)の申し込みをした。その結果、(なんと!)国土交通省九州地方整備局の担当者が同行するという条件で許可を貰うことが出来たのだ。これでギリギリのところで、修復・補強前の曽木発電所遺構の写真撮影が叶うことになった。

遺構の撮影
 当日、この様なチャンスは二度と無いと思い、カメラもデジタル一眼とフイルム一眼の2台で撮影に挑んだ。現地工事事務所にて同行して頂く担当者と待ち合わせをし、一緒に数百メートル離れた遺構へと向う。当日は梅雨真っ只中なのに運良く晴れていたのがなんともラッキーだ。現場に到着し、遺構を目の前にしての第一の感想は「デカイ…」。煉瓦の壁だけになっているが、元々は3階建ての建物だけあってやはり大きい。まるでローマの神殿や宮殿の遺跡のような(実物は見たことないが)何か神々しいオーラが出ている(気がする)。実物を前にしばし呆然としてしまった。落ち着いて周りを観察すると、前回対岸の展望台から撮影した時には堆積した土砂に埋もれていた部分もキレイに掘り出されており、遺構周辺の土砂が平らにされて鉄骨が組まれていた。着々と進められている補修・修復工事だが遺構本体にはまだ手が付けられておらずホッとした。撮影は約40分かけ行い、デジタル・フィルム合わせて150コマほど撮ったところで終了とした。
 

  
  
  
 
  
 
  
 

曽木発電所とは…

 さて、この曽木発電所自体について説明がまだだった。とても面白い歴史的な背景などは次回の報告書にするが、ここで簡単に説明したい。この遺構は正確には曽木電気株式会社の「第二発電所」跡になる。この曽木第二発電所は明治42年に竣工した発電所で、約1.5km上流にある曽木の滝の上部から取水し、水路と導水路(トンネル)を使って水を引いている。水路の水は発電所の背後の斜面上方にあるヘッドタンクを経由し、4本の導水管で発電所内のドイツのシーメンス社製の出力1,590kwの発電機4台を駆動した。認可出力は1,590kw×4台で6,360kwとなるが、実際は6,700kwの発電能力があったといわれている。

 
発電所の建屋は事務所や管理室のある3階建ての部分と、発電機がある2階建ての部分の2区画で構成され、総面積約669坪にもなる。水力発電所としては現在で考えても大きな建物だ。また明治時代に作られた総煉瓦造りの建造物としては、鹿児島県内唯一のものになるそうだ。もともと曽木の滝直下に第一発電所があり800kwの電力を生産していたが、更に下流でも発電所の建設が可能と分かり第二発電所が建設されたそうだ。水力発電は水の落差のエネルギーを使うので、更に下流の方が落差を稼げて都合がよかったのだろう。
 

曽木発電所、ダム湖に沈む
 昭和36年、第二発電所の下流で川内川の洪水調整と発電を目的とした鶴田ダムの建設が始まる。ダム完成の昭和40年に第二発電所は廃止となり、湖底へと沈むこととなり今日に至る。が、ここでひとつ不思議なことに気が付いた。大きなダムが造られる場合、ダム湖には多くの家屋や建造物・木々などが沈むことになる。通常は全て撤去される事になるが、なぜこの曽木発電所は残っているのだろう。流出したりする可能性のないコンクリート構造物が解体されず湖底に残される例はあるが、この発電所も煉瓦作りという点から流出の可能性がないとされ撤去されずに済んだのだろうか。ともあれ、撤去されなかったが故にこの様なインパクトのある遺構として残り、保存の為に補強修復を受けるまでになったのである。ダム建設に伴い捨てられ湖底に沈んだ建物が、40年経った今その産業遺産としての価値を見出され保存されるまでになったのはとても面白いことではないか。

 

つづく