軌道敷跡を確認できないまま県道220号にバイクを走らせると、左手に畑が広がる風景が見えてきた。畑の先は山になっているが、その境目に一定の高さで続く“線”を見つけた。その位置からして非常に怪しい。畑の中に点在する集落内を通って、その“線”にたどり着けた(A地点・写真は振り返って)。コンクリートで舗装されているものの軽自動車がギリギリ通れる位の幅しかない。この道が軌道敷跡か、と考えていた時、近くに畑仕事をしている老人がいたので「この道は昔、森林鉄道が通ってませんでしたか?」と聞いてみた。老人は「トロッコが通ってたよ」と答えてくれたのでホッとした。やはり、地元の老人に聞くが一番である。しばらくは右手に畑を見ながらコンクリート舗装になった軌道敷跡が続くが、B地点辺りで集落に入り痕跡が途切れる。
緑川沿いの県道に戻り先へ進むと、だんだん左手の山が迫ってくる。右手には「井戸江峡キャンプ場」がつり橋の架かる向こう岸に見える。この辺からC地点までの区間も、はっきりとした軌道敷跡を見つけることができない。昭和36年に発行された「甲佐町役場調製・甲佐町全図(1/25000縮尺)」によると県道と緑川の間のわずかな隙間を軌道が走っているが、実際は藪の斜面であったり、家が建っていたりしている。県道が軌道敷側に拡張されてしまった可能性も十分考えられるが、もう一度調査してみたい。
いままで県道220号に沿うように走っていた軌道敷が緑川を渡り、対岸へ渡るのがC地点の鉄橋だ。内大臣森林鉄道の最大の遺構と称され、唯一緑川を横切るポイントでもある。四本のコンクリート製の橋脚にのるプレートガーター橋は、歩道として再利用されていたのか、上面はコンクリートが敷いてあり錆びた手すりも残っている。手すりとプレートガーター本体共に完全に錆びており、かなり老朽化しているのであろう、現在は橋の両岸とも工事用ロープで進入できないようにしてあった。
|